駅から少し離れているため知名度は少なめですが、鎌倉の大町に大くにという和菓子屋さんがあります。
通販もやっていますが和菓子はお店に行かないと買えませんでした。でも、bowlsだとこれがメニューにあるんです。
メインディッシュを少し控えめにしてこちらのメニューが入る余地を残しておくと良いかもしれません。
司馬遼太郎さんの『街道をゆく42 三浦半島記』の中に段葛の話が出てきます。
鎌倉に幕府が開かれて森林伐採が進み、雨が降ると若宮大路が水浸しになったので、楽に歩けるように偉い人専用の道として段葛が造られたそうです。神様(つまりご神体等が移動するとき)と、将軍や執権だけしか通れなかった道です。もちろん今では誰でも通れます。
若宮大路は、少し東を流れる滑川(なめりがわ)のほか、扇が谷方面などからいくつもの小さな川が流れてきていました。寺や御家人の屋敷が増えて森林が少なくなり保水力が落ちた鎌倉時代には水が出やすい地域になったと思われます。昭和50年代の写真でも若宮大路に水が出ているものがあります。現在は小河川は暗渠になったし治水も進んだので滅多なことでは水は出ないでしょう。
なお、司馬さんは同書の中で段葛は防御障壁としては戦術的に意味は無いと言っています。でも、鎌倉幕府滅亡の際は、稲村ガ崎方面から押し寄せた新田軍と防衛側の執権北条軍が段葛をはさんで戦ったという話を聞いたことがあります。若宮大路の真ん中に延々と土塁があったみたいなものですから騎馬による突破は難しく、弓矢での射撃戦が続けられたのでしょう。頼朝公が段葛を造営したときにそうした意図があったのかどうかはわかりませんが、結果としてある程度の防御障壁の役割は果たしたのだと思います。
与謝野晶子さんが「鎌倉や みほとけなれど 釈迦牟尼は 美男におわす 夏木立かな」と歌っているように(本当はお釈迦様じゃなく阿弥陀如来様ですが)、鎌倉の大仏は日本人受けが良いお顔をしていらっしゃいます。
奈良の大仏は大陸から技術者を招いて造ったので、お顔も中国風になりました。鎌倉の大仏が造られた頃には日本で大きな仏像を鋳造する技術が根付いていたので、お顔も日本風というか「日本で人気が出る風」になったらしいです。
大仏様のクルクルと丸まった髪型は螺髪といって知恵の象徴だそうです。
鎌倉のおみやげ物店では、スマートフォンのアプリで有名ななめこのキャラクターのキーホルダーが売られていますが、鎌倉限定商品として黄金の螺髪が頭部に付けられたものがあります。
「鎌倉の大仏」とか「長谷の大仏」と呼ばれていますが、正式には高徳院というお寺にある阿弥陀如来像です。Googleマップがドラクエ風になったときも鎌倉の地に表示されていた鎌倉のシンボルのような仏像です。
高徳院 – Wikipedia
大仏殿が無いので露座の大仏とも呼ばれていますが、元々はちゃんと大仏殿がありました。現在大仏の周囲にある座るのにちょうどいい大きな円形の石は大仏殿の柱が載っていた場所です。風雨にさらされてほとんど剥げ落ちてしまいましたが、ちゃんと金箔も貼られていました。今でも右ほほの辺りにかすかに残っています。
大仏の中にも入ることができます。一度に入れる人数が制限されているので、混雑している日は待ち時間を多めに見積もる必要があります。また、マンガ『鎌倉ものがたり』ではトリックに使われていました。
『鞍馬天狗』で有名な大仏(おさらぎ)次郎氏はこのお寺の近所に住んでいたのでペンネームに「大仏」を使いました。ちなみに『鎌倉ものがたり』に出てくる鎌倉警察署署長は大仏(だいぶつ)次郎さんです。
炒めた野菜や豆腐を出汁で煮込んでしょうゆで味付けした澄まし汁。精進料理なので肉は入れません。
建長寺の開山・蘭渓道隆師が落として崩れた豆腐を「もったいないから」と使ったのが始まりだという説があります。でも、豆腐(特に木綿)は包丁を入れるより手でちぎったほうが美味しいと思うので、落とさなくても同じような料理ができた気がします。
禅宗のお寺。鎌倉五山の第一位。詳しくは以下;
建長寺 – Wikipedia
鎌倉五山とは以下のお寺です。
あまり広い平地が確保できない鎌倉の地では、谷戸と呼ばれる谷間にこじんまりとお寺が作られているところが多いのですが、建長寺と円覚寺はがんばって大きなスペースを確保しています。それでも決して余裕があるわけではないので、縦一直線に建物を配置する禅寺の様式は鎌倉向きだったのかもしれません。
建長寺の創建当初のものはあまり残っていないのですが、国宝の梵鐘は見ておいたほうが良いです。また、スケールの大きな法堂の周辺は建物の配置や敷石の並べ方なども含めて中国の寺院の雰囲気を味わえるところです。天井画の雲龍図とともにぜひ見ていただきたいです。
源実朝がおいの公暁に暗殺された際に、公暁が隠れたとされる大きな銀杏が大階段横に生えていました。階段の途中辺りでリスが枝を伝って顔を見せるので観光客の皆さんが喜ぶ場所でもありました。
残念なことに2010年3月に大風のため倒れてしまいました。残った根を隣に移し、もともと生えていた位置の根と合わせて親銀杏、子銀杏として再生させるべく手当てしています。
向かって左が元の位置(子銀杏)
だいぶ老木なので生き返るかどうか心配ではありますが、大銀杏自体は何度か折れたことがあるらしいですし、銀杏は生命力が強い木なのでがんばってほしいです。ひこばえも出始めたので今年の秋はかわいい黄葉が見られるかもしれません。
なお、倒れた木の枝を細かく分けたものが近隣のおみやげ物店でお守りとして売っていました。